『悪について』エーリッヒ・フロム 令和狸合戦ぽんぽこ

昨日、娘と一緒に久しぶりに『平成狸合戦ぽんぽこ』を観ました。

自分たちの住み家である山を人間の都市開発から守るため、人間たちを何とか追い出そうとあの手この手を考え、繰り出していくストーリーです。

自分たちではどうにもできないと悟り、四国の伝説の狸の力をかりるために自ら旅に出て協力を取り付けます。

狸族の力を結集し、何とかこの難局を打開しようと捨て身で奮闘します。

何度頑張っても失敗し、それでも諦めずに次の作戦を実行する。

人間の無知と無関心、身勝手な自己中心性と狸たちの悲惨なありさまと必死の頑張りに、涙が出てきました。

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安倍元総理大臣銃撃事件に思うこと

今、安倍元総理大臣の銃撃事件をきっかけに、自民党と統一教会の問題が明るみに出ました。

私は、オウム真理教の事件を鮮明に覚えています。

カルト宗教への強い嫌悪感と恐怖は、とても根強いものがあります。

きっと、自民党だけでなく、ほかの政党や地方議員にいたるまで、浸透していることでしょう。

事実を正しく伝えるマスコミは、ほんの一握り。

NHKをはじめ、ほとんどのテレビ局や新聞はこの件に触れようともせず、都合の悪い情報はあえて流しません。

国民の気をそらし、問題をなかったことにできるような番組や情報をあえて流しています。

民意のコントロールです。

今までのこの作戦が功を奏し続けてきたから、今回も同じようにごまかせると踏んでいるんです。

政治家のすっとぼけや開き直り、何が悪いのか分からないなどといった無知のふり…。

国民は完全にバカにされているんです。

 

人としての良心はどこにいったのでしょう?

政治家や報道官としての信念はどこにあるのでしょう?

こんな生き方をして、人として満足なんでしょうか?

権力など持ったことがないので、その魅力について私は何も語れませんが、人としての幸せは、権力やお金そのもの、物質的な欲求がすべて充足されること、そんなところにないことは分かります。

自分自身を裏切ること。

これ以上の苦しみはありません。

誰にもバレなくても、一生うまくごまかせても、自分だけはごまかせません。

その苦しみに、一生さいなまれて生きていくんだろうか…。

それさえも、もはや感じられないんだろうか…。

 

宗教2世の山神容疑者と政治家3世の安倍元総理大臣。

詳しいことは何も知らないけれど、それぞれの生い立ちを勝手に考えてみると、自分の意志で何かを決定し、遂行するということができたんだろうかと思います。

どちらも「こうでなければ」が極端に強い家庭で育ち、自分自身で生き方を選択をする自由などなかったんじゃないかな。

人格の基礎は幼少期に作られます。

どのような環境下で育ったのか。

後天的に本人の性格形成や価値観に多大な影響を与えます。

 

子ども時代がいかに大切か。

子どもの意志を尊重することがいかに大事か。

この事件は物語っているように思います。

 

周りの大人に押し付けられた価値観をはねのける力もなく、言われるがままにその役をこなす。

押し付けられた役割に人として無関心にならないと生きてこれなかった。

もしかして洗脳教育で疑問に思う余地さえなかったかもしれない。

何かに人としての信念や情熱をかけて取り組むなんて感情が生まれようもない。

人としての倫理観や理性に基づいた真の合理的判断ができない。

だからあんな嘘を恥ずかしくもなく平気でつくし、問題の本質が分からない。

『悪について』E.フロム 

そんな考えを巡らせていたら、ちょうど読んでいた本に書いてありました。

『悪について』E.フロム p.178-179

自分がしてしまった悪事を語り反省するものは、自分が犯した悪事のひどさを考えている。

そして考えていることに、人は囚われる。

自分が考えていることに心の底から完全に囚われてしまった人は、つまり悪事に囚われたままなのだ。

その人はきっと変われないだろう。

なぜならその人の精神はますますすさみ、心は腐敗し、さらには悲しみの気分に襲われるかもしれないからだ。

では、どうすればいいのか。

汚物をあれこれかき回してみても、汚物であることには変わりはない。

罪を犯していようがいまいが、天国においてそれが何の役に立つのか。

私がこんなことに思い悩んでいる間に、天国の喜びのために真珠に糸を通すこともできたのだ。

だからこう書いてある。

「悪から離れ、善をなせ」。

悪と完全に縁を切り、くよくよと考えずに、善を行なえと。

悪をなしてしまったら、善をなして釣り合わせよ。

人の中には誰しも悪がある。

自分の選択が何をもって動機づけられているかに気づくこと。

動機づけの原因に自覚的であること。

この先の展開を予測し、その予測に基づいて情動的ではなく、理性的な判断に基づいた選択ができるかどうか。

みんな、最後の決定的な選択にこそが物事を決定づけたと思っているが、実はそのときにはすでに選択の自由はない。

もっともっと初歩の頃には選択の自由が確かにある。

その時の選択こそが、今後の選択の自由をどんどん失わせていくのだ。

『悪について』E.フロム p.210

人の心はかたくなになりうる。

非人間的にはなれても、人間以外のものになることは決してない。

それはずっと人の心のままである。

人を規定するのは、私たちが人間として生まれたという事実、そして、そのために選択しなければならないという終わることのない作業である。

私たちは目的とともに手段を選ばなくてはならない。

誰かが救済してくれると頼ってはならないが、誤った選択をすると、自分自身を救済できなくなるという事実を強く意識しなければならない。

 

本当に私たちは善を選ぶために自覚しなければならない。

しかし、他人の嘆きに、他人のあたたかい視線に、鳥の歌に、芝の青さに心を動かされる力を失えば、どんな自覚があっても役には立たないだろう。

生に興味を持てなくなれば、その人が善を選ぶ希望はない。

そして心がかたくなになり、彼の”生”は終わるだろう。

もし万一、人類全体、あるいはその中で特に有力な成員にこれが起こったら、人類の生は最も明るい展望が開けるはずの瞬間に消滅するかもしれない。

『平成狸合戦ぽんぽこ』の狸たちは、必死で戦いました。

「変化(へんげ)できるタヌキはいいが、他の何もできない狸たちはどうやって生きていく?」

狸族全員の幸せを取り戻すため、狸たちは結集し、勢力をあげて知恵を絞り、大騒ぎをしました。

結局人間の力にあらがうことはできず、狸たちは昔の生活をすてて窮屈な中で暮らし始めます。

 

私たちの未来も、今、この時にかかっているように感じます。

子どもたちにのびのびとした自由な未来を残せるのか。

それとも狸たちのように力に屈服し、圧政に耐えながらなんとか生き伸びていくしかないのか。

 

今の日本では、政治や宗教について話すことすら嫌煙されます。

私もこういう話をすると重たいと嫌われる気がして、また、話しても仕方がない気がしてあまりしてきませんでした。

だけど、その躊躇こそが成熟した社会への成長を阻み、やりたい放題の悪政を生み出しました。

大人はもっと盛大に、ぽんぽこ合戦の狸たちの妖怪パレード並みに騒ぐ時なんじゃないかな。

無関心が生んだ30年間の空白。

みて見ぬふりをすることもできます。

今、自分自身が何を選択するのか。

何が『善』であり、『悪』なのか。

 

人の言いなりにならず、自分自身の頭で考える力を、人として譲れないものは何なのかを理解できる心を、あらためて自分自身にも、子どもたちにも育てていきたいと思いました。

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