岡山ママブロガーのマイコです。
西日本豪雨発生直後から個人ボランティアとして積極的に活動してきました。
そこから活動が広がり、現在は『SOSU(素数)』というボランティア団体代表として被災地復興支援活動&地域の子育てイベントの企画・運営に取り組んでいます。
個人ボランティアとしての災害発生直後の活動については下記リンクを参照ください。
当時、全く余裕がない中、どんな記事を書いていたのか、そのまま手を加えすに残しています。
少し時間だたった今だからこそ、振り返って分かったことを以下にまとめました。
個人ボランティアの『つなぎ』という重要な役割
今振り返って思うことは、行政の体制が立ち上がるまでのつなぎとして個人ボランティアの活動は大切だということです。
『勝手な行動をしたら現場に余計迷惑がかかる。だから、見守るのが正しい。』
ずっとそう思っていました。
私だけでなく、多くの方がそう思っていたのではないでしょうか。
しかし、行政は組織が大きいので何をするにも時間がかかります。
調整もたくさん入ります。
責任も関係してきます。
要は動きが遅いんです。
一方、現地は、過酷です。
『過』『酷』という、漢字の意味をこんなにも実感した経験はありません。
いくら手があっても足りない状況です。
目の前、とにかく大変なんです。
個人ボランティアはスピードと身軽さが武器です。
被災地にリアルなつながりがある方は、可能な限りどんどん現地に行き、直接顔を見て支援してあげることが大切です。
『ボランティアとニーズのマッチングが大切』とのことですが、真備の様子を見てニーズだらけなのは一目瞭然です。
それに、リアルな知り合いには自然とマッチングが完了しています。
私が駆けつけたとき、道が混雑していることはありませんでした。
地元道を使って現地に入れるのも強みです。
駆けつけている方もいらっしゃいましたが、むしろ、こんなにも人が来ないのはなんでだろう…。
違和感を覚えるほどでした。
リアルなつながりのある方が被災したら、行ける方はまず顔を出して、助ける意志があることを知らせる行動は、具体的な片付けという力の支援だけでなく、被災者の方にとって長期的な精神的な支援にもつながります。
個人がボランティアを行う場合に大切なことは、指示待ちをしないということです。
自分にできることを自分で考えて自分で動くこと。
間違うかもしれないし、役に立つかもしれない。
やってみないとわからないことばかりです。
被災者の方の声を聞きながら、最適解を必死で考えてそれを自分で実行する。
行政のしっかりとした支援が現地に届くまで、とにかく一緒に頑張る。
プロボランティアは、避難所支援がメイン
行政を通さなさい災害時のプロボランティアの方々が発生直後からすぐに大勢駆けつけていました。
災害現場に慣れていて、それぞれの働きを即実行していました。
皆さんキレキレですごかったです。
言葉も必要最小限、濃縮された言葉ですべてに無駄がない。
そしてそれぞれの領域で最大の働きをされています。
能力もハンパない!!!
すんごい専門家集団で、感動すると同時に圧倒されますが、誰かに指示されるのを待っていても誰も何も言ってくれません。
邪魔になるだけです。
自分からできることを考えて提案する。
自分でできることをすぐに実行する。
やりながら考える。
恐れずに発言し、どんな立場の方とも衝突しないように配慮する。
想いはみんな同じです。
プロのボランティアは主に避難所の運営を支援しいました。
逆に、被災地へ直接出向いて在宅避難者や近隣の親類宅等へ避難されている方々へリーチできるのは、リアルなつながりのある個人ボランティアの人達でした。
被災者の方の間では窃盗団の噂が流れていましたので、ボランティアに対する不信感がとても強かったです。
いきなり知らないボランティアの人に入られるより知り合いのほうが安心だと言っていました。
貴重品等いるものと要らないものの処理分別が終わるまでは、知らないボランティアさんより信頼のおける友人・知人の手が必要です。
下着を絞ってゴミ袋に入れる作業を手伝いましたが、そんな処理も知らない人にしてもらうのは辛いですよね…。
絞りながら、駆けつけてよかったと思いました。
避難所ではない現地の現況は、災害対策本部にもボランティアセンターにも避難所にも伝わりにくいです。
『災害対策本部はニーズを求めている。』と教えてもらいました。
被災地の中に入り込む個人ボランティアは、被災者の代わりに実情を遠慮せずにどんどん伝えていくことが大切だと高知市の職員の方に教わりました。
まとめ
- 行政
- プロボランティア
- 個人ボランティア
それぞれ役割が違うということがよくわかりました。
そのどれが欠けても被災地は大変なことになる。
個人ボランティアは理屈より『想い』で動く。
その『想い』が、以外な突破口を見出すことがあります。
知識がないからこそ、純粋な目で現場を見ます。
専門家とは違う役割がそこにはあります。
節度を守り、被災者の皆様に寄り添う気持ちを忘れないこと。
身軽な個人ボランティアが、個人だからこそ即座に支援を開始することは被災地にとってとても大切なことです。
葛藤はたくさんあるし、勘違いボランティアになったらどうしようとか、間違えたときの責任とか、怖い気持ちもたくさんありました。
でも、何よりその『想い』が、被災者の皆様に直接伝わることが、これから先の長い再建生活の間、目に見えない心のサポートになります。
『想い』は、直接会うことでダイレクトに伝わります。
それ以上何も必要ありません。
『行動』がすべてを物語ります。
被災地は、まだまだボランティアの助けを必要としています。
もしも、動ける方がいらっしゃいましたら、ぜひ、ボランティアにご参加お願いいたします。
現場の様子は、報道ではわかりません。
リアルにその目で見て、肌で感じることと報道は全く違います。
一人でも多くの手が被災現場に入りますように。
具体的な片付け作業の力だけでなく、その一人ひとりの『想い』が、長い復興生活の支えになります。
心の中に浮かんでくる言葉がありました。
『動機、善なりや? 私心、なかりしか?』
稲盛和夫さんの本に書いてあった言葉です。
一日も早い復興をお祈りし、自問自答を繰り返しながら、これからも微力ながら地元から総社・真備をささえていけるよう、一つ一つ取り組んでいこうと思います。