ひとりぼっちの夜。鳴々40代。

ひとりぼっちの夜。

長女を産んで以来、初めてだと思う。

 

次女の水泳の合宿がお盆と重なり、私は万が一、呼び出しがあった時のために旦那の実家へは帰省せず、自宅で1人留守番をすることになった。

 

案の定、眠れない。

隣に小さい足がないなんて、くっついてくる手が伸びてこないなんて。

全然落ち着かない。

疲れているのに眠れない。

 

ハムスターがいて、本当に良かった。

彼らは夜行性なので、カサコソと聞こえてくる音に安心する。

子どもを産んで以来、1人の時間は何よりも贅沢なものになった。

ほんの数時間、子どもと離れる時間はあんなにも貴重なのに、

丸一日フリーになると寂しい。

 

子どものことばかり考えてしまうので、今日はいつかやろうやろうと思って手をつけていない雑務を終わらせ、部屋の拭き掃除までした。

何度言っても片付けない、子どもの散らかした棚も綺麗に片付けた。

 

スッキリとした部屋。

子供が帰ってくれば、3分で終わる整った部屋。

 

家事はマイナスからゼロへの永遠の繰り返し。

部屋の乱れは心の乱れ。

どっちも乱れてばかりじゃないか!

アイロンをかけながら1人心の中でツッコんだ。

 

近居の母が、夕食に招待してくれた。

「何が食べたい?」と聞いてくれたので、春巻きをリクエストした。

「言うと思った。」と母に言われた。

 

父は相変わらず時代劇を見ていて、夕食の時間ちょうどに降りてこない。

番組が終わるとのそのそと降りてきた。

3人で実家で夕食を食べるのも、いつ以来だろう。

春巻きは前と同じ味で、美味しかった。

 

両親は孫をとても大切に可愛がってくれている。

私を育ててくれた上に、孫の面倒まで喜んで見てくれる。

私はここに生まれてラッキーだったのだ。

子どもだった頃はそのことに全く気がついていなかった。

典型的な中流家庭。裕福だったわけではない。

でもそれはみんなに最低限与えられる当たり前ではなかったと知ったのは大人になってから。

今はまだ元気でお互い好き勝手に暮らしているけれど、あと数年経てば介護が必要になってくるかもしれない。

今年は暑すぎて墓参りには行かないそうだ。

我が家は結構こういうところは昔からあっさりしている。

亡くなった祖母を思い出し、懐かしい親戚のおばさんやおじさんの近況を聞いて、自宅へ帰ってきた。

 

これから先、こういう日が増えてくるんだろうな。

夫婦2人に戻っていく。

 

先日友人が親を亡くした。

みなしごハッチの気分だと教えてくれた。

 

40代は人のために尽くす時なのかもしれない。

それと同時に、目まぐるしかった子育てが少し落ち着き、また自分自身と向き合い始める時。

 

子どもとって、私はいい親だろうか。

いい親とはなんだろうか。

河合隼雄や佐々木雅美の本に書いてあったような、

理解のある、子をのびのびと成長させられる健全な親になれているだろうか。

毒親にだけはなりたくない。

でも、そうだったらどうしよう。

親に自信なんてないんだと親になってからわかった。

それともそんなの実は私だけだろうか?

こんな大変なこと、両親はよくぞやったのけたなぁと思う。

その上、孫の面倒まで。

つくづく素晴らしいことだと思う。

私もそうなれるだろうか。

 

子どもは自分の世界を見つけてそこでのびのびやってほしい。

長女はもう、ハッキリと自分の意志を持っている。

その声を信じて自分で模索していってほしい。

もうこの子は私がいちいち目を光らせていないほうがいい。

 

明日になれば、みんな帰ってくる。

またみんな自分勝手に相手の領域に侵入しあうんだ。

それだけで、何ものにも変え難い、とても幸せな日。

死ぬ前に思い出すのは、なんでもない明日のような日のことだと思う。