夏休み終了間際の登校日。
家事を終え、久しぶりに子どものいない家でアマプラで映画を堪能していたら、母がやってきた。
コツコツコツ。
窓を叩く音が聞こえた。
と思ったら玄関の戸が開き、母が入ってきた。
母は近くに住んでいるので、時々こうして現れる。
久しぶりの登校日。
せっかく1人だったのに…。
一瞬極上の時間を邪魔されたような、ちょっと損をしたような気になったけれど、いやいや、「母」いう存在は、他でもない「母」じゃないか。
この世に私を送り出し、さらに育ててくれ、我が子の世話まで嬉々としてしてくれている。
間違いなくこの世で最も大切にするべき存在の1人。
気を取り直してコーヒーを出した。
2人だけで話すのは久しぶりだった。
母方の祖母の家に行った時、母と祖母がよくこんな風にただ話をしていた。
私は祖母が大好きだったので、母方の実家に母が帰るときには必ずついていった。
母と祖母のたわいのない話を、聞くともなしに近くに転がってゴロゴロのんびり過ごすのが好きだった。
祖母は、母が少しでも間を開けて帰らないことがあると、「〇〇は全然帰って来りゃぁせん!」などと、文句を言った。
話すことといえば、だいたい子どもの近況と、体の調子と親族の近況報告だ。
その会話こそが、祖母にとってはとても大切な情報であり、日々を生きる活力だったと思う。
母ももう75歳。
ソファに座って話す母の姿が、記憶の中の祖母と重なった。
あぁ、自分も、あの時の祖母と母になったんだなぁと思った。
次女は私にとてもよく似ている。
性格までそっくりだ。
次女はおばあちゃんが大好きで、しょっちゅうおばあちゃんの家に行きたがる。
夏休みはお泊まりまでリクエストし、1人だけ泊まらせてもらった。
おばあちゃんと一緒に寝た時の話を嬉しそうに話してくれた。
次女は、親にはなんとなく言いにくいようなちょっとした悩みをよく祖母に話している。
- 新しくなった硬筆でなかなか級が上がらなくなったこと。
- 何かとお姉ちゃんみたいに上手にできないこと。
- なんで自分はこんなに忘れ物をしてしまうのか。
- 習い事が多くて、でも全部やりたいし楽しいんだけど、毎日忙しくて大変なこと。
そのポツポツとした悩み事を、母は全部丁寧に聞いて、本人の気持ちを掬い上げてくれる。
どんな会話をして、何を言ったのか、母親の私が知っておいたほうが良いことだけをこうしてこっそりと少しだけ教えてくれる。
私は母から聞いたことを次女には絶対に言わない。
旦那にだけは、子どもが寝静まった後、こっそり話す。
安心しておばあちゃんと話ができる環境を守ってあげたいから、旦那にも次女には言わないように釘をさす。
長女は次女ほどのおばあちゃんっ子ではないけれど、おばあちゃんの家に行くことはいつも楽しみにしている。
家で私はお互いの平和のために、何かと生活上のルールを決めているので、おばあちゃんの家では何も言われず、好きなものを食べ、ひたすら呑気にダラダラと過ごせることが癒しになっているらしい。
「おばあちゃんはお気に入りのアイスを必ず冷蔵庫に入れておいてくれるんよ。」
長女がニコニコ教えてくれる。
そういうなんでもない小さいことが無数に重なっている空間がおばあちゃん家であり、母そのものの偉大さだと思う。