岡山ママブロガーのマイコです。
公務員を、2回退職しました。
後悔はありません。
今は、自主講座を立ち上げ、子育てをしながら、無理のない範囲で好きなことを仕事にして収入を得ています。
フリーに明日の保証はない。
フリーは楽かと言われれば、楽ではありません。
明日の補償がないというのは、とても厳しいものだからです。
- 月給
- 手当
- 賞与
- 退職金
- 各種社会保障
- 福利厚生
組織に所属していることで、これだけの確約があることは、本当に素晴らしいことです。
これだけの収入をフリーで得ている方は、相当、光っている方です☆
退職するなら、これだけのメリットを手放すという自覚は必要です。
生活できる見通しも必要です。
メンタル強くないと無理

フリーは、自分の仕事に対する評価が、ダイレクトに自分に跳ね返ってきます。
オブラートにつつんではもらえません…。
ことがあるたびに、自分の人間力まで、突き付けられます。
メンタルが強くないと、フリーは無理です。
自分で決めるしかない。

私は、安定の職場をやめる選択を自分の意志で決断しました。
生き方の変革をしたかったからです。
決めれば、すべてが変わります。
決まらないうちは、決めないという選択をしています。
仕事を辞めること自体は、とても簡単なことです。
本当に、紙切れ一枚です。
自分で決めるか決めないか、それだけです。
仕事のかわりは、いくらでもいます。
自分がいなくなったら困るという理由は、やめるやめないの判断に入れる必要はありません。
自分が、その仕事をする生き方をしたいかどうかで、決断しましょう。
すべては、うまくいくようになっています。
何をして、どう働いても、後から振り返れば、それが必ず一つにつながっています。
安定はないけど、生きがいはすごい

安定はなくなりましたが、後悔はありません。
価値観もひっくり返りました。
毎日がとても楽しく、今まで出会えなかったような人に、出逢える楽しみも増えました。
毎日がチャレンジの連続で、ワクワクしています。
ひらめいたら、それをすぐに自分の裁量で実行できる。責任も全部自分っていうのは、とても分かりやすくていいですよ。
人のせいにできないってのは、ある意味楽なんじゃないかな☆
不必要なネガティブ感情が生まれない。
そんな暇があったら改良しないといけない。
必然的に前向きになる。
ときどき抜け殻のように脱力していますが…w
以下、参考までに今までのいきさつを書いています。
よければ読んでみてくださいね!
最初の転職のきっかけ

新卒で国家公務員2種の試験を受け、岡山社会保険事務局に採用されました。
健康保険、会計事務、年金事務に従事し、7年間勤めました。
安定の代名詞『行政一般職公務員』
もちろん、一生働くつもりで就職しました。
そして、突然巻き起こった社会保険庁バッシングの嵐。
江角マキコの国民年金未納問題が浮上。
そこから、職員のデータのぞき見問題、年金記録問題…。
ずさんとしか言いようがない内容ばかり…。
職場は問題が浮上するたびに苦情の電話が鳴り響き、窓口は長蛇の列。
押しかけるテレビ取材陣…。
精神を崩してうつ病になり、病気休職者、続出。
人手が減って、残った職員にどんどん負担が回り、大変でした。
何日も何日も休みを返上し、過去の記録古い年金紙台帳を調べ、記録を照合する気の遠くなるような作業。
街頭に立って、謝りながら罵倒を浴び、ビラ配り…。
私はこんなことがしたいんじゃない!
こんなところにいたくない。
心底そう思いました。
職場では、自殺者まででる事態…。
働くって何だ?!
真剣に考え直す、いいきっかけをいただきました。
生き方そのものを考え直し、転職を決意しました。
人生には転機が何回かあります。
私の場合、結構わかりやすく、否応なく天から降ってきます。
転職活動

公務員をしていて、組織が解体され、公務員でさえなくなる日がくるなんて、本当に誰が想像したでしょうか…。
当時、誰も思いもしなかったことが、自分の身に起こりました。
安定なんて、どこにも存在しません。
何か事が起こったとき、どう行動するか、その問題をどう捉えるか。
何で今、このタイミングで、他でもないこの私が、この問題を抱えているのか…。
そこに学びがあり、メッセージがあります。
みんな身を粉にして働き、首切りに怯え、あきらめ感が漂っていました。
おまけに組織解体。公務員の身分、はく奪。
まさに、何でもアリでした。
いままで一緒に働いていた仲間が3つの組織に分割。
何とも言えない空気が流れました。
私は、3つの組織、どこにも行きたくなかったんです。
私はこんなことしたいんじゃない。
28歳。三十路目前。
27歳で結婚し、夫はジャマイカへの留学直前。
子どもを作るのはもう少し先になりそうだし、今しかないって思いました。
当時は、自分の可能性を全く信じていない時だったので、最も無難な転職先を選びました。
夫に相談の上、私は収入面では大黒柱だったので、働きながら教員採用試験を受けることに。
決めて半年間は猛勉強。
白い眼を無視し、残業を減らし、帰宅後は毎晩、採用試験の勉強。
試験直前に旦那はジャマイカへ留学へ旅立ちました。
合格したら年末に退職し、1か月ほど遊びに行く約束をしました。
職場には、完全に秘密で進めていました。
苦しい言い訳をし、怪しまれながら数日の連休を申し出て、コソコソと隠れながら教員採用試験を受けました。
大学を卒業してから何年もたってるし、教員採用試験について、ネットで調べたり、参考書で勉強はしたけど、その他の情報は何もありませんでした。
ダメもとの気楽さが良かったのか、なんと、一発合格!
神様からのGOサインがでました。
それからすぐ、職場に退職を申し入れ、12月末で退職。
退職までに、自分の仕事は全部、きっちり片づけました。
有休も消化せず、休日出勤もしました。
退職日まで、職場の皆さまへの今までの感謝の気持ちを込め、最後の日まで、誠実に働きました。
1月から1か月間ジャマイカへとびプチ海外生活をエンジョイ☆
帰国後は授業の勉強をして4月からの新生活に備えました。
小学校教諭に転職してからは、自分の人間性の低さを嫌というほど知りました。
1年目は本当にひっちゃかめっちゃか大変で…。
体脂肪率7パーセントになるほど悩みまくった一年でした。
でも、2年目・3年目は最高でした。
人生に無駄はない

決して積極的に選んだわけではない教員生活が、今につながっています。
そういうことになっていた。そんな感じすらします。
子どもが生まれたことをきっかけに、育児に後悔したくないと2度目の退職を決意。
かなり悩みましたが、フリーになることを選びました。
そして、今に至ります。
- 総社子ども英語『FUN!MUSIC!!』
- 総社リトミック
- SOSU(素数)子育てをもっと楽しもう!(ボランティア)
今やっていることのHPを紹介します。
社会保険庁での経験も、教員時代の経験も、全部今につながっています。
今の仕事がこれからどこにつながっていくのか、人生はまだまだこれから。
楽しみながら進んでいきます。
HPよければのぞいてみてくださいね!